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みことばの黙想

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「わたしについて来なさい」
1月22日
年間第3主日
マタイ4・12-23または4・12-17
「わたしについて来なさい」

(文:髙橋慎一神父=横浜教区/カット=高崎紀子)


イエス様は、洗礼者ヨハネが領主ヘロデに恨まれて牢に捕えられたことを聞くと、お育ちになったナザレを離れてガリラヤ湖畔の町カファルナウムに来て住まわれます。当時のガリラヤ地方は、湖の恩恵によって緑にも恵まれた美しい土地でありました。しかし、同時に「湖沿いの道、ヨルダン川の彼方の地、異邦人のガリラヤ」と呼ばれているように中央のエルサレムの人たちからは軽んじられて辺境の土地扱いもされていたのです。


イエス様は洗礼者ヨハネが人々に待ち望むように呼びかけていた天の国を、いよいよ自分自身で人々に宣べ伝え始められます。また、湖畔で出会った四人の漁師たちに声をかけてイエス様に従うものとしました。


既に三十年以上前の出来事になりましたが、神学校に入学して三、四年を過ぎたころでしょうか。ある休日に、二人の先輩と共に埼玉県飯能市の方へハイキングに出かけたことがありました。ただ歩くだけではもったいないので、まだ春浅い草原の一隅にそれぞれ腰をかけて、カバンの中に入れてきた一冊の福音書を輪読し、共に黙想をいたしました。さわやかな風に吹かれながら川沿いの道を歩いていると、遠くの方の建物に一枚の看板があり、「人間漁業」と書かれているように見えます。


三人で不思議に思い「まるで先ほど読んでいたペトロとアンデレの召し出しの場面みたいだね」とか「イエス様は『人間をとる漁師にしよう』とおっしゃったからね」などと話し合いながら看板に近寄りますと、実は飯能市の辺りには入間川という川があり「人間漁業」ではなくて「入間漁業」(川魚を扱われている会社でした)の勘違いであったのが今では懐かしい思い出です。


駅へと向かう道筋で、自分たちの目指す仕事に会社として名前をつけるならば、「人間漁業」か「御国建設」に違いないなどと若者らしい冗談を飛ばしながら練馬区関町の神学校への帰途につきました。


日本のカトリック教会では、「人間漁業」の「漁師」や「御国建設」の「技師」、「御恵み銀行」の「行員」は大変な人手不足です。


特に若い信徒の方には、自分の人生の選択肢に司祭・修道者の道を入れていただきたいものです。


ガリラヤ湖畔で漁の仕事をしていたペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネに親しく「わたしについてきなさい」と声をかけられたイエス様は、また徴税人マタイを彼の収税所で呼び出されました。


現代でもイエス様は現実の生活の場面で多くの人の心に召し出しの声をかけていらっしゃるのではないでしょうか。


以前、ある教会でお会いしたフィリピン人の修道士の方は、当初は、日本に職を求めて来日されましたが、日本での生活を経て「日本にいればお金は入るけれども、やはり自分は天の国のために働きたい」という強い願いをもって帰国し、主に貧しい病者のために奉仕する修道会に入会しました。現在に至るまで日本とフィリピンとの草の根的な懸け橋の役割をも担ってくださっています。


日本の労働環境がますます国際的になる中で、他国から日本に働きに来た若者が、その経験から召命の道に入るケースも増加していくのではないかと思います。

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