現教皇の苦悩描く映画、公開へ

May 25, 2017
現教皇の苦悩描く映画、公開へ

ルケッティ監督は、キリストのために働く人の姿をうらやましいとさえ思ったと話す

在任4年でカトリック教会を劇的に改革し続ける教皇フランシスコ。史上初の米大陸アルゼンチン出身の教皇が体験した〝暗黒の軍事独裁政権〟時代とその苦悩の半生を描く映画『ローマ法王になる日まで』。6月3日の公開に向けて4月末、イタリア人のダニエーレ・ルケッティ監督が来日し、東京・上智大学のイベントに参加した。「等身大の人物像に近付けるように徹底的に現地取材をした」と語る同監督に単独インタビューした。

1976年に始まるアルゼンチン軍事独裁政権(~83年)。反政府の動きをした人々は政府から目をつけられ、100人単位で失踪し、また司祭は銃殺され、信者たちは飛行機から川などへ投げ落とされた。教会は、〝教会を共産主義から守るため〟軍事独裁政権に妥協。その一方で自由と正義を求めた司祭・信者らは反政府運動に関わっていった。そうした極限状態の中で、ベルゴリオ(教皇フランシスコの本名)は、イエズス会のアルゼンチン管区長として常に究極の選択と判断を求められるのだった。

ベルゴリオは、反政府運動に関わった青年を神学校にかくまい、また大統領に直訴し、海軍大将を〝脅す〟など、人々を守るために自分にできる〝最善〟の努力を尽くす。しかし、友人らが殺されたという数々の悲報は途切れることなく届く。

こうしたアルゼンチン時代のベルゴリオをよく知る人物にインタビューを続けたルケッティ監督は、無宗教者であるため、先入観なしで公平にベルゴリオ像を築き上げたと言う。

「独裁政権時代に生きたベルゴリオについて、信ぴょう性の高い情報を集め、事実に近いものを描こうと努めました。教皇フランシスコはいつも明るく、厳しいながらも穏やかなイメージがありますが、驚いたのは25年間ベルゴリオを見てきた秘書が『彼がアルゼンチンでほほ笑んでいたのを見たことは一度もない』と言ったことです。常に暗い憂鬱(ゆううつ)な顔で、自分の判断や、自分がしていることは正しいのかと、いつも苦悩していたと言います。秘書が初めて見た笑顔が、教皇に選ばれて公に現れた時だったそうです」


聖母の慰め

こうして、ベルゴリオに近かった多くの人々の証言から共通して浮かび上がった彼の人物像は、次のようなものだ。

ベルゴリオは、知的で聡明、感情をさらけ出さず、自分の顔さえ鏡で見ようとせず、自分を〝消し〟、自分を後回しにして、すべての時間を使って人のことを考え、人のために打ち込んでいる修道者。

ルケッティ監督によれば、教皇フランシスコが誕生してから、イタリアの教会は確実に変わったという。教皇はバチカン周辺で売られている教皇のブロマイドの収益を、人知れず郊外の貧困地区に届け、支援の手を差し伸べ、また私利私欲に走りぜいたくする高位聖職者に改革の〝メス〟を入れている。しかし〝抵抗勢力〟に阻止され、なかなか進んでいないのが実情だという。

ルケッティ監督自身、〝腐敗〟した聖職者との出会いから、〝無宗教者〟になった過去を持つ。しかし、今回の映画制作を通して、一つの心境の変化があったと話す。

「『神を本当に信じる人(キリストのために働いている人)』は信じられる。その姿を、私はうらやましいとさえ思ったのです」

映画には、軍事独裁政権終焉(しゅうえん)後、ドイツの聖堂で、聖画「結び目を解くマリア」の前で涙するベルゴリオの姿が描かれる。

「教会と軍事政権が密接だったということは確かで、教会の責任はあります。でも取材を通して、ベルゴリオは軍事政権に加担していなかったと言い切れます。聖画の前で涙を流すシーンはベルゴリオの第二の回心と呼ばれています。軍事政権下で十分に人々を救えなかったことへの後悔の涙。そしてベルゴリオ自身が癒やしを求めていた〝小さき存在〟で、聖母に慰められたことへの安堵(あんど)の涙だったと思います。この映画は、80年かけて愛に目覚め、やっと成熟した人間の物語と言えます」

6月3日から、東京・ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開。詳細は公式ホームページ(http://roma-houou.jp/)。

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