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みことばの黙想

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「あたたかな声」
5月7日
復活節第4主日(世界召命祈願の日)
ヨハネ10・1―10
「あたたかな声」

(文:谷崎新一郎神父=コンベンツアル聖フランシスコ修道会/カット:高崎紀子)

世の中に溢(あふ)れる歌、詩、言葉…。最近、心に響く言葉があったでしょうか。生き生きさせてくれる表現や自分の状況に重なる表現に出会うと、それを他の方と分かち合いたくなるものです。困難に直面したときや人生の節目に、その表現を思い起こすこともあるかもしれません。生き方に大きな影響を与えることもあるかもしれません。

イエス様は、わたしたちを羊に、ご自分を羊飼いにたとえておられます。羊は群れを離れて生きるのは難しい、と言われます。小ささ、弱さを抱え、神様の導きや人々の支えを必要とするわたしたちの姿が思い起こされます。イエス様は、わたしたちを守り、導き、深い部分から生かしてくださる羊飼い。名前はその名を持つもの全体を表す、と考えられていましたので、イエス様がわたしたちの名を呼んでくださる様子は、小ささ、弱さを抱えるわたしたちをよくご存じで、深く受けとめ、生き生きとさせてくださる様子を思い起こさせます。

ところで、羊は羊飼いの声を聞き分ける、という表現に、胸が痛くなるかもしれません。福音書にはイエス様の言葉が数多く記されていますが、そのすべてが心に響くわけではないかもしれません。意味がよく分からなかったり、どう捉えて良いか戸惑ったりするかもしれません。イエス様の言葉より惹(ひ)かれるもの、大切にしているものがあるかもしれません。今日の福音箇所における「声」という言葉は、原文では単数形。そして、「聞き分ける」と訳されている言葉には、「従う」という意味もあります。ですから、この声とは、「限りない愛に満ちるイエス様ご自身」のように思えます。イエス様に支えられ、そのあたたかさに深い部分から動かされ、少しずつイエス様のように生きるよう、招かれているのではないでしょうか。もしこのあたたかさを深く感じられず、十分に生きられなくても、復活なさったイエス様はいつも共におられ、あきらめず、さまざまな形で愛を届けてくださいます。

イエス様は、ご自身を羊の門にもたとえておられます。イエス様の限りなく豊かな愛を思うと、大きな門のイメージが思い浮かぶかもしれません。一方、イエス様は、わたしたちに神様の愛を届けるために小さくへりくだられる方。その門をくぐるためにへりくだって身をかがめるわたしたちの姿も思い起こされます。あたたかな声であるイエス様の生き方が自分に響いていないと感じるなら、怖がらず、素直にイエス様により頼んではどうでしょう。

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