キリストの光 光のキリスト

みことばの黙想

Play Now
再生できない場合は、ダウンロードしてお聞きください
「肩の力を抜いて」
2月12日
年間第6主日
マタイ5・17-37または5・20-22a、27-28、33-34a、37
「肩の力を抜いて」

(文:谷崎新一郎神父=コンベンツアル聖フランシスコ修道会/カット:高崎紀子)


外で寒さを感じて体を固くしながらあたたかい部屋に入ると、体だけでなく心もあたたかくなってほっとし、肩の力が抜けるかもしれません。誰かにとてもあたたかく受け入れてもらうときには、心があたたかくなり、ほっとし、緊張感が抜け、微笑みが浮かぶでしょう。


あたたかな神様の支配なさる状態が「天の国」なら、そこに入るための「義」も、神様のあたたかな愛情を感じ取り、そのあたたかさに隅々まで生かされている状態ではないでしょうか。イスラエルでは、「完成する」という言葉に、「もっと深い意味をもたせる」という内容もあるようです。教会のさまざまな掟であれ、律法であれ、その奥にあたたかな心をよく思いめぐらしながら応えられたらいいな、と思います。まず肩の力を抜いて、イエス様の言葉、イエス様の行く、来る、見る、言う、触れる、憐れむなどの動作……その一つ一つに深い愛情をよく思いめぐらし、感じ取って、それに応えられたらいいな、と思います。


神様、イエス様、誰かのあたたかな心を感じると、人を心から大切にするよう促されてきます。それを決心のようにイメージし、自分の心、言葉、行動で形にしようとするかもしれません。ところが、決心や誓いを行うとき、いつの間にか肩に力が入ってしまったり、決心、誓いの深みや重さを十分感じていないこともあり得ます。イスラエルでは神様に誓いを立てることは恐れ多いと考え、神様以外のものの名を使って誓うことがあったようです。それに対してイエス様は、すべてのものを神様の心、愛情いっぱいの心と結びつけるよう促しておられます。「しなければならない」「頑張らなくてはいけない」と自分に言い聞かせる状況に陥ることもあるでしょう。それが無理のある決心や誓いになっているなら、神様の前で再び肩の力を抜いて自分の本音を神様にお話しし、神様の愛情で心をあたためていただいてから新たに歩み出せたら素敵です。


人を大切にできないこともあり得ます。誰かに対して腹を立てたり、良くない心で人を見たり、狭い心で人を拒んだり……。そのような中、人に大切にされなかった痛みも、人を大切にできなかった痛みも、どうしようもない痛みも、イエス様は誰よりも深く受けとめながら限りないあたたかさを伝えるため、すべてを手放し、命をささげてくださいました。そのあたたかさに肩の力を抜いて、あたたかく歩み出したいものです。

この記事を読んだ人は次の記事も読んでいます