キリストの光 光のキリスト

みことばの黙想

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「姿を消す」
2月5日
年間第5主日
マタイ5・13-16
「姿を消す」


(文:西経一神父=神言修道会/カット:高崎紀子)


蛍光灯。なつかしい言葉です。さらに、天井に取り付けられた蛍光灯にぶら下がった紐を引いて点灯するまでしばらく待っているなどという情景は、つるべを落として水をくむ姿に似て、すでにはるか彼方の思い出でありましょう。蛇口をひねれば水が出る、ボタンを押せば点灯する、そうした手間を省く技術の発達によって、人の思いもまた省かれることとなりました。


思いが省かれる状況を当たり前といいます。ひねれば出る、押せば点く、それが当たり前の状況となれば、感謝という思いが生じることはありません。つるべを落として水をくみ上げる母の後ろ姿を目にすることがなくなれば、「母さん、肩でも叩いてあげましょうか」という言葉もやがて姿を消さざるを得ませんでした。そうした感謝の思いが省かれる当たり前の中で、姿を消して働く、それが光と塩の働き方です。


当たり前の中で、灯りはただ静かに部屋を照らしているばかりです。塩はスープの中に姿を消して働くだけです。灯りの下で働く人に「ごくろうさま」の声はかけられても、灯りに向かって「おつかれさま」のあいさつはないのです。「ごちそうさま」は料理を作ってくれた人に対する言葉であって、「おかげさま」という声が塩に向かってかけられることはありません。


イエスさまは、光とは夜道を照らすものだとか塩とは腐敗防止に役立つとか、そうした説明をなさっているのではありません。そうではなくて光と塩の「働き方」を教えておられるのです。感謝されずとも静かに照らしている、報われずとも姿を消して働いている、そのありようをもって「あなたたちは地の塩である。あなたたちは世の光である」と宣言しておられるのです。


たとえば家族のために、当たり前の中で、感謝されることもなく、報われることも少なく、黙々と働き、しずかに差し出し続ける父と母の姿、それはそのまま塩と光の働き方なのです。したがって「あなたたちの光を人々の前に輝かせなさい」との命令は、その輝きを見てあなた方自身が讃えられるのではなく「人々があなたがたの天の父を讃えるためである」と結ばれるのです。


 

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