小説『沈黙』の司祭、肖像画発見

June 24, 2016
小説『沈黙』の司祭、肖像画発見

「とがった竹で首を刺され、長い苦しみののち帰天」と記されたキアラ神父〝殉教画〟

キリシタン禁教下、壮絶な拷問を受けた宣教者の素顔は――。遠藤周作著『沈黙』の主人公のモデルとなったジュゼッペ・キアラ神父(イエズス会/1602―85年)は、徳川幕府の厳しいキリシタン弾圧を受けて信仰を捨てたとされるが、国内にはキアラ神父の「顔」を描いた資料は皆無。


長年、キリシタン研究に尽力してきたサレジオ修道会のガエタノ・コンプリ神父(86)は5月中旬、日本から28人を引率したイタリア巡礼で、キアラ神父の「顔」を見ることができた、と話す。


キアラ神父の故郷はシチリア島のキューザ・スクラファニ市にある。聖ニコラ教会で、コンプリ神父ら巡礼団が主任司祭から見せられたのは、首に竹串を刺されたキアラ神父の肖像画だった。その殉教図の下方部分に「(日本で)信仰のゆえに残酷な死に方で、とがった竹で首を刺され、長い苦しみののち帰天し1649年ごろ殉教の冠を得た」(一部抜粋)と記されている。


当時の日本の情報は故郷には届かず、キアラ神父が戻ってこないのは殉教したからだろうと、出身教会の人々は想像したのだという。


「キアラ神父は、貴族の出身だったので、肖像画があったようです。それを基に殉教画が描かれたので、顔は本人でほぼ間違いないと思います。私は、主任司祭に、キアラ神父の日本での〝その後〟を伝え、キアラ神父が亡くなって330年を経て、彼が育った教会で追悼ミサをささげました」(コンプリ神父)



「殉教は今も」


キアラ神父の日本上陸の目的は、イエズス会日本管区の管区長代理を務めたクリストヴァン・フェレイラ神父を救出することだった。信仰が深く人望も厚かったフェレイラ神父が棄教したというニュースは、ヨーロッパのカトリック教会やイエズス会に衝撃を与えた。フェレイラ神父を救うために何人ものイエズス会士が2グループに分かれて禁教時代の日本を目指した。そして、それぞれが殉教、棄教という〝道〟をたどった。


コンプリ神父はこう語る。


「殉教は今の時代にも存在します。キリストへの信仰に基づき、不正な事にきちんと反対の意思表示ができるかなど、毎日毎日、私たちも〝踏絵〟を突きつけられているわけです。キリシタン時代の歴史を学び、自分の信仰を振り返る機会にしてほしいと思います」


シチリア島でコンプリ神父ら巡礼団は、パレルモのカテドラルにおいて、最近、遺骨発見(本紙4月10日付既報)で注目を集めているジョヴァンニ・シドティ神父の兄、フィリッポ・シドティの肖像画と対面した。兄は当時のパレルモ大司教の代理だった。禁教下の最後の殉教者、シドティ神父(1668―1714年)の肖像画は残っていないが、兄の絵からその容姿を想像することも可能だろう。

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