【映画】『沈黙―サイレンス―』

January 19, 2017
【映画】『沈黙―サイレンス―』

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人間の弱さに寄り添う「神」を描き続けたカトリック作家、故遠藤周作氏の小説『沈黙』が誕生して半世紀がたつ。このほど、米国のマーティン・スコセッシ監督(74)が構想から28年、さまざまな障壁を乗り越えて映画化した。


舞台は、想像を絶する迫害の末、外国人宣教師が〝全滅〟した江戸時代初期(17世紀)の日本。主人公のロドリゴ神父は、キリシタン禁教令下の九州にひそかに上陸を果たす。恩師フェレイラ神父が棄教したという「うわさ」の真偽を確かめるためだ。しかし、ミイラ取りがミイラになっていく…。


ロドリゴ神父のモデルとなった実在の人物は、ジュゼッペ・キアラ神父(イエズス会/1602―85年)。キアラ神父は、日本で棄教したと伝えられたイエズス会日本管区の管区長代理クリストヴァン・フェレイラ神父を救出するために、1643年、仲間と共に日本に潜入した。信仰も人望も厚かったフェレイラ神父が迫害に屈したという「知らせ」で、遠い欧州のカトリック教会に激震が走っていたからだ。


少年時代、カトリック司祭になりたいと小神学校に入学したという巨匠スコセッシ監督は、宗教的葛藤の末、司祭になることを断念。1988年に『沈黙』に出合い、以来、遠藤作品を愛読し、28年間、『沈黙』について考え続け、『沈黙』と共に成長したという。



「文化衝突」というテーマに魅了され


昨年10月、来日時の記者会見で監督はこう語った。


「私はカトリックの家庭に育ち、宗教は私の人生を濃く色づけました。今回、撮影でいろいろなロケ地を巡ったことは、巡礼のような体験でした。神を『信じる』ことは、ロドリゴやフェレイラのように〝試練〟と感じることもあります。『信じる』ことは、常に享受できるものではなく、自ら勝ち取るものです。日々『人間とは何か?』と考えながら生きることが『信じる』過程なのだと思います」


巨匠が、特に『沈黙』に魅了されたテーマの中の一つは、「文化衝突」だという。異文化の中にカトリック(キリスト教)を持ち込むことは、「それを(本質へと)削っていく過程だ」と思うとも話していた。


小説『沈黙』は1966年の発表当時、日本の一部の司教や神学者から「棄教を肯定する」内容だと誤解され、〝禁書〟扱いにされた。しかし映画は、この小説が「棄教の善悪」を問う作品ではないことにあらためて気付かせてくれる。


なぜ神は沈黙を続けるのか? なぜ社会的弱者が苦しまなければならないのか? 人間の弱さは〝罪〟なのか?暴力で魂まで奪えるのか? 人間の存在につきまとう数々の普遍的な問い掛けが、この作品には凝縮されている。こうした奥深い哲学的疑問に対し、監督は映画を通じて、自らの〝信仰告白〟をしたと言えるだろう。


映画では、ロドリゴ神父の「その後」まで描いている点も見所の一つになっている。


1月21日から全国ロードショー。上映状況は、(http://chinmoku.jp/)を参照。配給=KADOKAWA(カドカワ)。

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