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みことばの黙想

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「限りない愛のそよ風」
6月4日
聖霊降臨の主日
ヨハネ20・19―23
「限りない愛のそよ風」

(文:谷崎新一郎神父=コンベンツアル聖フランシスコ修道会/カット:高崎紀子)

暑い中、心地よい風が吹くと、心の中も少し爽やかになります。そしておのずと、ほほ笑み、元気、やさしさも少し湧き出てくるかもしれません。しかし、生活の中で心地よい風を感じられず、心閉ざし、ほほ笑み、元気、やさしさが出てこないときもあるかもしれません。頑張ってほほ笑み、やさしくなろうとする中で、もっと疲れ、傷つくこともあるかもしれません。

弟子たちが家の扉をしっかり閉めている様子は、わたしたちが心を開けない状態をも思い起こさせます。過去の失敗や悲しい出来事から、人に対して素直にやさしくなれないときもあるでしょう。イエス様は、そのようなわたしたちの固くなってしまった心の中に、ご自分から入ってこられ、こう仰せになります。「あなたがたに平和があるように」

聖書において平和という言葉は、争いがない状態だけではなく、神様によって深い部分から満たされ、心から和解している状態。イエス様は、受難、十字架の死を通して、恨みや報復ではなく、わたしたちが限りない愛とゆるしに満たされるよう、やさしく心の中に入ってくださいます。「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される」という言葉は、わたしたちがイエス様のように神様の限りない愛をもっと分かち合うよう促します。

「罪をゆるす」という言葉は、罪や過ちを犯した人をとがめないことをイメージさせます。傷ついたとき、その傷が深ければ深いほど、ゆるすことは難しいでしょう。しかしイエス様がご自分の十字架の傷を弟子たちに見せたとき、弟子たちは喜んでいます。命をささげるまで傷つき果てる中、なお人々の弱さ、不安、恐れ、固い心を誰よりも深くやさしく受けとめ、限りない愛とゆるしを届ける…そのようなことがわたしたちにできるのでしょうか。

福音書で用いられている「ゆるす」という言葉には、「捨てる」「手放す」という意味もあります。心からゆるし、手放す力をくださる聖霊。わたしたちが努力と自力でこの方を頂くというより、イエス様が吹き込んでくださいます。人が神様から限りない愛を吹き込まれ、心から生かされるように…。わたしたちの心の痛みは、完全には消えないかもしれません。しかし、聖霊とイエス様の限りない愛を、人との関わりやさまざまな出来事によって頂く中で、少しずつ癒やされ、痛みにばかりとらわれることなく、ほほ笑みとやさしさを抱けるでしょう。わたしたちの痛みの中に、限りない愛のそよ風と癒やしが満ち渡りますように。

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