神の父性愛は革命的

June 15, 2017
神の父性愛は革命的

6月7日の一般謁見の中で、一人の男性を祝福する教皇フランシスコ(CNS)

【バチカン6月7日CNS】神と人間との関係の神秘は、キリスト信者が子どもとして愛する父に対するように神を頼ることができるという点で革命的だといえる、と教皇フランシスコは指摘した。


イエスは「主の祈り」を教えることで、全てのキリスト信者に「〝父〟の名で神を呼ぶ勇気をもつよう」促している、と教皇は6月7日、バチカンのサンピエトロ広場で開いた一般謁見で、集まった約1万5千人の巡礼者たちに語り掛けた。


「これは大きな革命で、キリスト教が人間の宗教的心理に染み通らせているものです。神の神秘はいつも私たちの心を捉え、私たちの存在の小ささを感じさせますが、私たちを恐れさせることはなく、私たちを押しつぶしもせず、悩ませもしません」と教皇は語った。


教皇は一般謁見の講話で神の父性について語り、それがキリスト信者にとっての希望の源であることが「私たちの父」と神を呼ぶ祈りに表れていると指摘した。


人によっては、神を「その超越性をより尊重した」かたちの称号で呼びたがるかもしれないが、「父」という言葉は、「愛されて、面倒を見てもらえることを知っている子が父に対して抱くような」信頼にあふれた関係を指し示している、と教皇は説明した。


「放蕩(ほうとう)息子のたとえ」に触れた教皇は、神が子どもたちを愛するのは「人間的な方法にはよっていません。この世には、このたとえの主人公のように振る舞うと思われる父親はいないからです」と語った。


「神は独自の方法で父親を務めます。善良で、人間の自由意思に対して無防備で、〝愛する〟という動詞の活用形しか使えないのです」と教皇は続ける。「計り知れない神秘です。神はこのような愛のかたちで、その子どもたちを養ってくださるのです」


使徒パウロが「父」という言葉をギリシャ語に翻訳せず、アラマイ語の「アッバ」を使ったのはこのためだったと教皇は付け加えた。「アッバ」という言葉は「父」よりも親密な呼び掛けの言葉で、〝パパ〟とか〝お父ちゃん〟などと訳せる。



「今この時も見守る父」


教皇フランシスコは続けて、人々の心が「遠く離れて、敵対的にさえなり、自らを“無神論者”と称することがあっても」、神が人間から遠く離れてしまうことは決してない、と語った。


「私たちが助けを必要としている時、イエスは私たちに諦めて自分の殻に閉じこもれとは言いません。むしろ父に向かい、信頼をもって助けを願うよう促しているのです」


教皇は講話を終わるに当たって、巡礼者たちを「主の祈り」に導く前に、巡礼者たちに向けて、自分たちが日々の生活で直面している困難について思いめぐらすよう呼び掛けた。


「私たちは沈黙のうちに、そのような問題や窮状について思ってみましょう。そしてまた、私たちなしにはいられず、今この時も私たちを見守っておられる私たちの父についても思ってみましょう」

「食べられるものとなられた方の思い」
みことばの黙想  6月18日
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