神のいつくしみは不変で限りない

January 21, 2016
神のいつくしみは不変で限りない
バチカンのパウロ6世ホールで行われた1月13日の一般謁見で、障がいのある人々と会い、子どもの一人を抱きしめる教皇フランシスコ(CNS)
【バチカン1月13日CNS】神のいつくしみは不変で限りなく、神はその子どもたちへのいつくしみに忠実で、たとえ子どもたちが不誠実でもそれは変わらない、と教皇フランシスコは指摘した。

神の偉大さと力は、「とても小さく、力もない私たちへの愛」のうちに現れる、と教皇は1月13日、一般謁見で語った。

教皇は新年最初の一般謁見から、聖書の記述に沿った、いつくしみについての連続講話を始め、「旧約聖書からイエス・キリストによる救いの完成、御父のいつくしみが完全に現される」までを振り返っていきたいと説明した。

バチカンのパウロ6世ホールに集まった約6千人を前に、教皇は「あわれみ深く、恵みに富み、怒るに遅く、いつくしみとまことにあふれる」神という聖書の記述についての考察から講話を進めた。

教皇フランシスコは、聖書が神のいつくしみ深い愛を、「愛し、守り、助け、ためらうことなく全てを与え」、子どもたちのために「自らさえも差し出す」母親の優しさや愛と比較していると指摘した。「それはこの言葉を示す姿です」。それは「いい意味で“直感的な”愛と言えるでしょう」。

神のあふれる恵みは弱い立場に置かれた人や貧しい人への共感と、誰をも即座に受け入れ、理解し、ゆるす姿勢に示されている、と教皇は続けた。こうした姿は、放蕩(ほうとう)息子に対する父親に現れていて、父親は息子に怒りを覚えることもなく、むしろ「息子を待ち続けました」。

「息子に再会した時の父親の愛と喜びはとても大きかったのです。それで父親は、弟に対して怒っていた兄を呼びましたが、彼はお祝いには加わりたくありませんでした。この兄は家にとどまりましたが、息子としてではなく奉公人のように生きていたのです」と教皇は説明した。

「ところが、父親は兄に対しても身をかがめ、彼も参加するようにと招きます。それは兄に愛へと心を開いてもらいたかったからです。誰一人、いつくしみの祝宴から仲間はずれにされないためでした。いつくしみは祝宴なのです」

 

「悪に打ち勝ちゆるすすべ」

神の愛とまことの美しさは、愛情と恵み、優しさのうちに示される、と教皇は語り、その愛は「テレビドラマの愛」のような表面的なものではないと強調した。

「その愛は最初の一歩を踏み出します。それは人間的な利益によるのではなく、とてつもない寛大さによっているからです」と教皇は説明する。「それは何事も、罪でさえも止められない神の心遣いです。神は罪に勝り、悪に打ち勝ち、ゆるすすべをご存じだからです」

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